一人の赤ちゃん
アルフォンソ・プポ神父
どこでも一人の赤ちゃんが生まれると、そこには特別な雰囲気が生まれます。やさしさ、思いやり、そしてこのか弱い新しい命への愛が満ちあふれます。だからこそ、クリスマスのお祝いが世界中に広まっているのだと思います。宗教を問わず、仏教徒も、イスラム教徒も、さらにはユダヤ教徒でさえもクリスマスを祝います。
最近では、私たちの教会には子どもがほとんどいません。日曜日のミサにも、子どもが一人もいないことが多く、その雰囲気はどこか寂しく、何かが足りないように感じます。もしかすると、それは「希望」が足りないと感じるからかもしれません。私たちは少人数で、しかも高齢の方が多いため、教会の未来が見えにくいと感じてしまうのです。
しかし、小さな子ども、あるいは赤ちゃんが親に抱かれて聖堂に入ってくるだけで、雰囲気は大きく変わります。信者の顔には自然と笑顔が浮かび、歌も祈りにも心がこもります。なぜでしょうか。それは、赤ちゃんが私たちに「笑顔」以外、何も求めていない存在だからではないでしょうか。
飼い葉桶に寝かされ、干し草の上で、牛とロバの間に横たわっていた姿を…」(『聖フランシスコの第一伝記』84参照)。
私たちが小さくても、恐れや不安を抱えていても、教会に少人数しかいなくても、年を取っていても、病気であっても、弱さを感じていても、あるいは罪人だと感じていても——焦る必要はありません。全能の神は人となられ、小さく弱い存在となって、私たちのそばに来てくださいました。空腹や痛み、軽蔑、迫害、そして十字架の死までも経験されたからこそ、イエスはいつも、そしていつまでも、弱い私たちと共にいてくださるのです。
聖母マリアと心を合わせて祈りましょう。
「わたしの魂は主をあがめ、わたしの霊は救い主である神を喜びたたえます。
身分の低い、この主のはしためにも目を留めてくださったからです。
今から後、いつの世の人もわたしを幸いな者と言うでしょう、
力ある方が、わたしに偉大なことをなさいましたから...」
