教会の歴史
日中戦争中の昭和13年, 主任司祭に着任した武宮雷吾師は,太平洋戦争中の苦難の時代を教会を守りながら終戦を迎えた。戦後は,魚が水を得たように活発な宣教を開始した。戦後の復興と、カトリック教会の発展は、青年の双肩にかかっているとして,22年10月,「青年を王たるキリストに捧ぐる文」を青年会で1万部印刷し,全国各教会に無料発送した。信徒は急増し、聖堂は狭隘になったので、信徒の献金により,聖堂の増築に着工し、23年復活祭に祝別された。
昭和24年11月,武宮師は稚内教会に転任した。その後は短期間に,主任司祭が交代し、信徒は落着かない気持ちだったが、釧路地区はフランシスコ会ヴェネチア管区が担当することになり、27年7月、同管区のダミアノ・ブレッサン師が主任司祭として着任した。信徒は急増し、従来の聖堂では狭隘になったので、32年春、新聖堂と同教会付属「釧路カトリック幼稚園」の建築に着工し、同年9月8日、献堂・祝別を行った。一階は幼稚園,二階が聖堂で,総面積759平方メートルである。52年10月10日,創立50周年を盛大にお祝いした。記念事業として、市の共同墓地の一角にあるカトリック墓地に,立派な地下納骨堂を建設した。
当教会は釧路駅に近く,市の中心部ではあるが、幼稚園を併設する教会としては、敷地が狭く、かねてから主任司祭ルカ・ボナヴィゴ師、信徒会が一丸となって,移転計画が進められていた。その努力が実り,従来の教会から約100メートル離れた現在地に、従来の敷地の二倍の2,167平方メートルを入手し, 教会・幼稚園を新築し、献堂・祝別式が昭和57年6月27日行われた。
平成11年現在の信徒数は545名である。