ポンティオ・ピラト

                                  アルフォンソ・プポ神父

教会の典礼や個人の祈りで「使徒信条」または「ニケア・コンスタンチノープル信条」を唱える時、私たちは信仰の大切な真理とともに、ポンティオ・ピラトの名前も口にします。「...主は聖霊によってやどり、おとめマリアから生まれ、 ポンティオ・ピラトのもとで苦しみを受け、十字架につけられて死に ...」と。では、なぜ異教徒で、歴史的には決して大人物とはいえず、残酷だったローマの総督ピラトの名前が信仰宣言に入っているのでしょうか。

イエスの裁判はわずか数時間で終わりました。あのガリラヤ出身の巡回説教者の十字架刑は、当時は取るに足らない出来事でした。ローマ総督ピラトの存在も小さなものに見えます。しかし、この裁判と判決は、人類の歴史で最も重要で、最も深い意味を持つ出来事になりました。

ピラトは有名な権力者ではありませんでした。彼は地中海沿いのカイサリアの立派な宮殿で快適に暮らし、エルサレムには祭りの時だけ来ました。政治の才能もなく、ユダヤ人、とくにガリラヤの人々を嫌っていました。「ちょうどそのとき、何人かの人が来て、ピラトがガリラヤ人の血を彼らのいけにえに混ぜたことをイエスに告げた。」と、福音書にも彼の残酷さが記されています(ルカ131節)。彼は皇帝ティベリウスにへつらい、カイサリアに凱旋門か他の記念碑を献げました。その証拠が、1961年に発見された碑文です写真参照:碑文には「ユダヤ属州総督ポンティオ・ピラト」の名が明確に刻まれている。(イスラエル博物館、エルサレム)]

ローマの歴史家タキトゥスもこう書いています:「その信者は、キリストの名にちなんでキリスト者と呼ばれています。そのキリストは、ティベリウス帝の時代に、総督ポンティオ・ピラトによって処刑された。」その他、ほかの歴史家の記述もあります。

ピラトは長くその地位に留まらず、やがて失脚し、最後は悲しい最期を迎えたと言われています。しかし、彼が歴史上の人物であったことは疑われたことがありません。

私たちが信仰宣言の中にピラトの名前を述べるのは、イエスが本当に人間の歴史の中で生まれ、生き、死んで、復活されたことを示すためです。

福音書は単なる歴史書ではなく、神の愛が私たちの具体的な歴史の中で実現した「良い知らせ」です。 イエスは天使でも霊でもなく、作り話でもありません。私たちと同じ「本当の人間」でした。マリアから生まれ、ガリラヤの石だらけの道を歩き、ガリラヤ湖を何度も渡り、イスラエルの人々や周辺の異邦人と出会いました。善いことを行い、病を癒し、神の国の福音を告げ知らせました。そしてエルサレムで裁かれ、十字架で残酷な死を迎えました。

神は本当に人となり、私たちの歴史の中に来られました。 ローマ皇帝の代理であったピラトの存在は、この歴史的な事実を示しています。ピラトは、人を支配し、人の苦しみを軽視し、神の愛から遠ざける政治的権力を象徴する存在となっています。

本当の人間であるイエスを信じることは、私たち自身と周りの人々を、具体的で大切な存在として受け入れる助けになります。 金持ちでも貧しくても、弱くても強くても、善人でも悪人でも関係ありません。 すべての人は神からいのちを与えられ、「人の子」としての尊厳を持っています。 私たちの日々の歴史の中で、神を父と呼び、すべての人を兄弟姉妹として受け入れるための聖霊が与えられています。

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