もったいない!
アルフォンソ・プポ神父
最近のミサの説教で、聖書における「罪」の意味について少し触れましたが、本当にお伝えしたかったことを、うまく表現できませんでした。「私の日本語はまだまだですから、本当に申し訳ないなあ……それでも皆さんがいつも辛抱強く聞いてくださっていることに感謝しています」と思いました。
ここでは、「罪」というものを理解するための一つの見方を、分かち合ってみたいと思います。罪を「一つの悪い行い」としてではなく、「生き方そのものが、どこか満たされない状態になっていること」として考える見方です。
日本に来てまだ数年の頃、幼稚園のあるお母さんに家族のことを聞かれました。私が結婚しない道を選んだと話すと、その方は「もったいない!」と驚きの声をあげました。その時、私は「もったいない」という言葉の意味を改めて考えました。イタリア語では「Che peccato!(ケ・ペッカート)」と言いますが、直訳すれば「なんという罪だ!」となります。つまり、「残念ですね」「惜しいですね」「なんてもったいない!」という気持ちを表す言葉です。聖書でも、「罪」はもともと「的を外す」という意味があります。そう考えると、「惜しい」「残念」「もったいない」という感覚にとても近いのです。
罪とは、一つの悪い行動というよりも、「方向がずれてしまうこと」、「正しく良いことができるのに怠ってしなかったこと」、「人生を無駄にしてしまうこと」に近いのかもしれません。
「誰が神の山に登れよう。誰が聖所に立てよう。それは手に汚れなく、心の清い人、
むなしいことに心を向けず、
この四旬節の間、私たちの生活の中で「方向がずれてしまっているところ」「真の喜びと希望が薄れつつあるところ」「神さまが与えてくださったいのちの美しさや聖さを見失っているところ」があるなら、静かに見つめてみましょう。そのような生き方こそ、本当の意味で「もったいない!」のではないでしょうか。
イエスは罪深い女に言われました。(ヨハネ8、11参照)
「わたしはあなたを罪に定めない。行きなさい。もう罪を犯してはならない」。つまり、「与えられたいのちをもう無駄にしないように」ということです。
皆さん、恵みに満ちた四旬節を過ごしましょう。

